11月27日、日本青年館でノーモアヒロシマ・ナガサキ国際市民会議プレ集会が開催されました。今回のプレ集会は来年の会議に向け戦争犠牲を等しく受忍しなければならないという「受忍論」と平和憲法との関わりを考えていく場になりました。
      と き 2004年11月27日(土)
      ところ 日本青年館501会議室
      問題提起者 小森陽一さん(東京大学教授、「9条の会」事務局長)
              被爆者の皆さん

 

被爆者は支えられれば語る
 藤平 典さん(日本被団協代表委員)
 
 被爆者の要求は「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器なくせ」「非核の証として原爆被害に国家補償を」ということです。教育基本法と憲法が改悪される中でこれらの要求がどうなっていくのか、たいへん不安に思っています。
 先日イラクで拘留された人たちに対し、ある政治家は「反日分子」という言葉を使いました。私の経験によれば、「反日分子」の次に出てくるのが、「非国民」「国賊」。こうした言葉を、私は中学時代に繰り返し聞かされました。それがいま、政府に反対する者は「反日」だとされる。これは、たいへん恐い。教育基本法と憲法の改悪は、こうした流れに続くのだと思っています。
 被爆者の大部分は70歳を越えています。東京都中野区で被爆者にアンケートをとったら93・6%が世界のどこかで核戦争の不安を抱えていることがわかりました。また、体験を語ることで核戦争を防げるかという問いには72・6%が「そう思う」と言いながら、語ったことがある人は半数にとどまっています。自分の家族にさえ、被爆体験を知らせていない人が多いのです。
 被爆者は語りたくないのではありません。語ったことで差別を受けたこともあります。語ったところで、どうせ理解されないと思っていることもあります。けれど、自分を支えてくれる人にであえば、語るのです。
 ぜひとも、こうした点を理解して、何かを残そうとする被爆者を助け、力づけください。

 

戦争被害「受忍」政策は続く
 吉田一人さん(「被団協」新聞編集委員)
 
 日本被団協の「基本要求」策定の動機は、厚生大臣の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(「基本懇」)が1980年12月に出した答申でした。それは、「国家補償の被爆者援護法」を真っ向から拒否し、原爆被害も含めて国民は戦争被害を「受忍」すべきである、国の戦争責任を問うことはできない、と頭ごなしに押しつけたものでした。
 日本被団協は、だだちに基本懇を批判し、全国的な「被爆者要求調査」を実施、さらに、全国的な討論によって、「原爆被害者の基本要求」をつくりあげます。「基本要求」では、「戦争の反省から生まれた日本国憲法はその前文で、『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意』してい」るとし、この憲法の下で、戦争犠牲は「受忍」できるものでも、「受忍」させられるものでもないと言っています。
 そして、「基本要求」は「ふたび被爆者をつくらない」ための具体的措置として、「核兵器廃絶」と「国家補償の被爆者援護法」を二大要求として掲げたのです。
 しかし、原爆被害の「受忍」政策は、今も続けられています。それどころか、今後の戦争にも適用される一般的な原則とされているのです。それは今年6月に成立した「武力攻撃事態等における国民保護法」などに表われています。そこでは、武力攻撃事態──戦時における政府の措置に協力した者が死亡、負傷したときは補償するとしています。これは言い換えれば、協力しなかった者、あるいは、協力要請されなかった一般国民が損害を受けたり、死亡した場合でも補償はしない、ということです。
 さらに、深刻なことは、これには新たな核戦争被害さえも含められていることです。今年4月、石破茂防衛庁長官は、衆院での国民保護法案審議で、「広島でも長崎でも、爆心地の近くでありながら、生き残った方がたくさんおられる。だから、どういう状況であれば核攻撃を万万が一受けても被害が局限できるかということを、考えていかなければならない」と答弁しています。同時に、核抑止力としてBMD(弾道ミサイル防衛)が必要だと言い、「国民保護法制とは、まさしくそれ(核抑止力)を眼目とするものだ」と強調しました。政府はこれからの核戦争さえも想定して、「国民保護」の名で、その“核戦争地獄”までも国民に「受忍」させようとしているのです。
 「核兵器なくせ」「原爆被害への国家補償を」「戦争被害受忍政策をやめよ」という要求は、決して過去の問題ではなく、今まさに、憲法が掲げる「平和のうちに生存する権利──平和的生存権」を保障するための、きわめて現実的で緊急の課題だといえるのです。

 

九条は戦争の抑止力となる
 小森陽一さん(「9条の会」事務局長)
 非戦闘員を抹殺した広島・長崎への原爆投下によって、もはや戦争の大義は一切存在しないことがはっきりしました。そして、戦争を繰り返させてはならないということで、国際連合が結成され、日本国憲法がつくられました。 
 改憲派は、日本国憲法が一国平和主義のきわめて現実性のないものだという難癖をつけたがります。しかし、九条第一項の後半部分は国連憲章そのもので、国連に入っているすべての国々が共通に了解している条項です。別な言い方をすれば、いかなる意味でも先制攻撃は国際法違反になるのです。
認められているのは「個別的自衛権」および「集団的自衛権」の行使に限られます。2003年3月のイラク攻撃は、イギリスがイラクから「攻撃されることが予測される事態」だとし、アメリカとの二国間同盟に基づき「集団的自衛権」を行使するという名目で始められました。だから、大量破壊兵器がなかったことが明らかになった時点で、国連アナン事務総長は「イラク攻撃は国際法違反の可能性が高い」と演説したのです。
 一方、アメリカはイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」として名指しました。イラク、イランのある中東は泥沼の戦争が続いていますが、北朝鮮問題では、六カ国協議という平和的な外交交渉が行なわれています。
 大陸の東側で平和的な交渉が行われているのは、憲法九条により自衛隊が軍隊ではなく、日本は個別的自衛権しか行使できないからです。そのために、アメリカがこの地域に介入できないのです。この点、九条は戦争の抑止力として現実に機能しています。
 集団的自衛権とは、あらかじめ敵を予想し、敵から「攻撃が予測される事態」として先制攻撃をかけることです。武力攻撃事態法の国会論議で焦点となったのが、「攻撃が予測される事態」でした。北朝鮮問題をきっかけに、日本に九条改憲を求め、集団的自衛権を行使できるようにすることこそ、アメリカが日本に求めていることです。 
 九条は、「国際平和を誠実に希求し、戦争を放棄する」といっています。これは、世界に対するよびかけです。個別的自衛権や集団的自衛権を求める国々は、国際平和を誠実に希求しているとはいえません。集団的自衛権は核開発競争を煽る前提にもなりました。憲法九条はこうした動きを批判してきたのです。これは、けっして一国平和主義ではありません。
 まもなく、敗戦・戦後60年です。60年というのは、ひとりの人間の人生の一サイクルが終わる年数です。現実のなまなましい記憶は、歴史へと変えられていきます。原爆や戦争の記憶をなくすことをねらいながら、改憲と核武装を考える勢力が増えています。憲法を変える前に、戦争を担う国民とそれを支える心をつくろうと、教育基本法の改悪案が来年の通常国会に出されるかどうか、正念場を迎えています。
 憲法は、国民が国家を縛る最高法規です。それを変えて、国家が国民の心や意識を縛るような最高法規にしようとしている動きがあるのです。
 こうした事態を多くの人に正確に訴えていくことが必要でしょう。そして、戦争と被爆の記憶を一人ひとりが自分なりの言葉で語り継いでいくことが、私たちの運動の要になると思います。

 

マイケル・ムーアに映画制作依頼
 マッド・アマノさん
 米のマイケル・ムーア監督にヒロシマ・ナガサキの記録映画をつくってもらおうという、勝手連の運動をしています。
 アメリカでは9・11の現場を「グランドゼロ」と言っています。冗談じゃない。「グランドゼロ」はヒロシマ・ナガサキこそが原点。そこで、今年の3月から署名運動を展開、今、5百人分が寄せられています。
 私は昭和14年生まれで終戦時に小学一年生で戦争体験の最後の世代です。だから、ヒロシマ・ナガサキのためにやれるだけのことをして死んでいきたい。100年通用する平和の哲学をつくりたいと思います。

 


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