と き 2004年8月6日13:30〜15:30
ところ 広島市・平和記念資料館 メモリアルホール
主催  ノーモアヒロシマナガサキ国際市民会議実行委員会 

 

パネリストのみなさん 

岩佐幹三さん(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)
 1929年福岡県生まれ。16歳のとき、広島で被爆。自らの体験に基づき被爆者運動に携わってきた。元金沢大学法学部長。石川県原爆被災者の会会長を長年つとめる。現在は、日本被団協で原爆症認定集団訴訟推進委員長として、原爆被害への国家補償実現にむけ奮闘している。
高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)
 1956年福島県生まれ。1983年、東京大学大学院哲学専攻博士課程単位取得。日本の戦争責任や教育基本法「改正」問題などについて積極的な発言を続ける。『茶色の朝』(大月書店)の解説や近著には『平和と平等をあきらめない』(晶文社、斎藤貴男との共著)などがある。
クリストファー・ウィラマントリーさん(国際反核法律家協会会長)
 スリランカの首都コロンボ市出身。スリランカ最高裁判事、オーストラリア・モナッシュ大教授を経て、1991年から2000年まで国際司法裁判所(ICJ)判事を務め核兵器の違法性を強調。現在は、コロンボを拠点に平和教育の普及に取り組む。

 

アメリカの原爆投下と日本の戦争責任・被爆者対策を追及したい
岩佐幹三さん(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)
 

 原爆被害は単に記憶されるべき過去の出来事ではない。けっして繰り返してはならない教訓として受け止められるべきだ。現に広島・長崎への原爆投下は、「あの日、あのとき」のみならず、いまなお被爆者をその全生涯にわたって苦しめ続けている。

 あの日、16歳だった私は爆心地から1.2`の自宅で被爆した。家の下敷きになった母を助けることができず、生きながら焼け死ぬのを見捨てて逃げた。いざというときの無力さを嘆き、自分を責め続けてきた。天を恨み、運命を呪うような日々だった。私は原爆と闘うことを決意して、母を見捨てた自分の非人間的な行為から立ち直ることができた。
 翌日から私は妹を捜して広島市内を歩き回った。残留放射線や放射性降下物などを浴びたり、吸ったりしたため、一か月後に身体中に赤い斑点ができ、喉を痛め、歯茎や鼻からの出血、脱毛などの急性症状にかかって病床に伏した。何とか死をまぬがれて回復したが、その後もいろいろな病気にかかり、健康に絶えず不安を感じてきた。そしてとうとう、1996年と99年に皮膚癌を、今年、前立腺癌を発症した。これは、被爆による以外考えられない。私は、このような人生をおくらざるをえない原因となった戦争を、そして原爆=核兵器の存在をけっして許すことができない。

 私の体験は、被爆した何十万人のなかのひとつにすぎない。もっともっと苦しい体験を経て、人生を送っている人もたくさんいる。あの日のみならず、いまなお被爆者に及ぼし続けている被害の実態を語り継いでいくことが、緊急かつ重要な課題になっている。
 被爆者は、このような原爆被害をもたらした行為、そして戦争責任を追及するとともに、自分たちの体験した苦難に満ちた人生を、人類の上に繰り返させてはならないと「ふたたび被爆者をつくるな」「核兵器なくせ」と叫び、訴えてきた。
 その声は、世界の平和運動の中で受け止められて大きな世論となり、被爆後から今日まで実践での核兵器使用を防いできた。核兵器の使用も含む先制攻撃をも辞さないとしたアメリカ・ブッシュ政権も、イラク戦争では核兵器は使用できなかった。
 とはいえ、その危険性が去ったわけではない。ブッシュ政権は、核態勢の見直し並びに国家安全保障戦略(ブッシュ・ドクトリン)を表明して、核兵器使用を前提にした戦略態勢を一貫して推進しようとしている。また、その他少数の核保有国が、核兵器を独占して、核実験や核兵器開発、製造を繰り返し、その過程で多くの新たな核被害者を生み出した。全人類の死活に関わるゆゆしき問題なのだ。

 こうした核優位政策、核保有政策を阻止するためには、核兵器廃絶の国際世論をさらにいっそう強固なものに発展させて、世界諸国民の連帯の輪で取り巻き、これらの政策を無力化させなければならない。
 国際司法裁判所は1996年に「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法違反」という勧告的意見を下したが、アメリカの原爆使用そのものは、国際法違反の「犯罪」として明確に裁かれていない。
 21世紀を、人類が核兵器の脅威から解放されるために、今こそあらためてアメリカ政府の原爆使用とその後の占領政策での非人間性が根本的に問い直されなければならない。
 原爆が投下された1945年夏には、日本軍の戦闘能力は壊滅状態で敗北は目前だった。原爆使用は、対日戦略よりも戦後の国際戦略をにらんでのことだ。しかも、無警告で、幼児・年寄り・女性などの非戦闘員を含めて無差別大量殺戮を行ったのだ。
 また、日本敗戦後、占領軍の高官として赴任したファレル准将は、被爆直後の9月に「現在、原爆放射能のために苦しんでいるものは皆無」と述べて、被爆者切り捨て政策を鮮明にした。その上に占領軍は原爆被害に関する情報の国内外への伝達を禁止して、被害の全容を隠蔽。国際的な救援活動の道すら抑圧して、被爆者を見殺しにした。さらに、48年には原爆被害調査委員会(ABCC)を設置して、核軍事戦略に活用する目的で被爆者の医学的データの集積をすすめたにもかかわらず、治療などは一切行わず、被爆者を実験モルモット扱いした。

 被爆者の生命や人間としての尊厳を踏みにじったアメリカの政策は絶対に許せない。原爆=核兵器とその使用が、いかに非人間的で、人類の生存にとって犯罪的なものになるか、これらのことからも明らかで、その責任は追及されるべきだ。
 また、日本政府には戦争を開始し、遂行し、その終結を遅延させることによって原爆投下を招いた重大な責任がある。戦後は、占領軍やアメリカ政府に迎合して、原爆被害の隠蔽に協力するとともに、サンフランシスコ講和条約締結にあたっては、賠償請求権を放棄したばかりか、被爆者を戦後12年にもわたって放置し続けた。世界で唯一の戦争による原爆被害国であるにもかかわらず、戦争責任を反省しようともせず、核兵器廃絶の国是をとろうとはしていない。
 1957年、国民的な大きな世論に押されて、はじめて被爆者援護対策に踏み出してからも、日本政府は常に原爆被害を、軽く、小さく、狭いものと過小評価してきた。それは、原爆被害はたいしたことはない、また使われても仕方がないという核兵器容認の考え方につながる。原爆被害の実態を認めようとはせず、被害の受忍を強いている国に対して、今、被爆者は原爆症認定集団訴訟を起こし、受忍政策を跳ね返すたたかいを全国的にすすめている。
 日本被団協は、こうした事態をふまえて、被爆60年を機会に、アメリカの原爆投下責任と戦後占領下での非人間的な被爆者政策、また日本政府の戦争責任と戦後の被爆者放置や原爆被害受忍政策についての戦後責任などを糾明・追及するとともに、核兵器の犯罪性を告発するための国際会議を、国内外の被爆者、核兵器被害者や科学者、専門家、平和運動・市民活動の参加者など広範な人々の英知を結集して、開催することを提案した。
 これが、来年7月の「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」である。
 この会議を成功させるために力を結集していこう。
 そのためには、原爆被害の実態をあらためて掘り起こすことがたいせつだ。非被爆者の方々や戦争を知らない世代の人々は、被爆者に直接会って、その被爆証言を聞いていっしょに考えてほしい。59年前の惨状は、いつ繰り返されるかわからない状況にあるのだから。これを防ぐのは、過去の教訓を知って、その愚を繰り返してはならないことを理解した人間の力だ。一人ひとりの力は弱くても、みんなで力を合わせて、核兵器廃絶、平和な未来を築く世論の輪を大きく広げて、アメリカをはじめとする核保有国を包囲し、追いつめていこう。

 

歴史的な判断をつきあわせる中でヒロシマ・ナガサキの犯罪性を共有する
高橋哲哉さん(東京大学大学院教授)
 

 「ヒロシマ・ナガサキを裁きたい」という思いが被爆者の中で強まってきていると聞いている。「ヒロシマ・ナガサキを裁く」とはどういうことなのかを、私なりに提起してみたい。とりわけ、責任を追及するということはどういうことなのか、60年近く経ってあらためて問われるのはなぜか、どうして今日までそれがなされなかったのかを、触れてみたいと思う。

 「ヒロシマ・ナガサキを裁く」ことについて、核兵器の違法性を裁く点では、国際司法裁判所の判断が下されている。これは重要だと思う。にもかかわらず、広島・長崎へのアメリカ軍の原爆投下については、多くの人たちが認識しながら、日本国内でさえ公的に追及されたり、認定されたことがなかった。
 世界的に考えれば、ヒロシマ・ナガサキの犯罪性を認識している人がいるが、他方では今日に至るまで原爆投下が誤っていた、不正であった、犯罪であったということに、異論がもたれたり、あるいは判断そのものが下されない事態が続いてきた。
 全体としてアメリカでは、原爆投下正当化論が強い。95年にスミソニアン航空宇宙博物館で原爆展が開催されようとしたところ、各界からの異論が強く、挫折せざるをえなかったことは記憶に新しい。
 ヨーロッパでは、20世紀の犯罪の象徴としてアウシュビッツとヒロシマがよく挙げられる。しかし、ヨーロッパでもアウシュビッツは絶対悪で人類に対する犯罪だという認識がほぼ完全に一般化しているが、他方で、ヒロシマに関しては絶対悪という言い方はしない。こういう議論が戦後ずっと存在してきた。
 代表的な主張としては、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチがいる。彼はユダヤ系フランス人としてナチス・ドイツの悪を徹底的に追及した。彼によると、アウシュビッツの犯罪性が絶対悪であるのは、ナチス・ドイツがユダヤ民族に対して強烈な憎悪を動機として、全体を抹殺しようと企てた犯罪だからだという。「憎悪」と「抹殺」という20世紀の文明世界では想像できなかった要素が存在している。ジャンケレヴィッチは、それに比べるとヒロシマ・ナガサキは、米英軍のドレスデンやハンブルグに対する無差別爆撃と同じように、被害者に対する絶対的な憎悪は存在しない。同時に、相手の民族を抹殺させようとする意図ももっていないのだという。アメリカの原爆投下は、日本民族を抹殺しようとして行われたものではない。「憎悪」と「抹殺」がヒロシマ・ナガサキには欠けていた。だから、アウシュビッツに比べれば絶対悪とは言えない。こういう議論である。これは、ヨーロッパでは根強い。たとえば、アウシュビッツの生き残りでノーベル平和賞を受賞した文学者エリ・ヴィーゼルも同様だった。
 私は、ヒロシマ・ナガサキがアウシュビッツと比べても悪の極端さで決して異なるものではないことを強調したい。とりわけ、「憎悪」と「抹殺」だけでは理解できない面があることが、ヒロシマ・ナガサキの犯罪の特徴なのではないか。
 ドイツの哲学者ギュンター・アンダースが、広島に原爆を投下したパイロットのクロード・イーザリーと往復書簡を交わしている。それによると、イーザリーは日本民族に強烈な憎悪をもっていたわけではなかった。抹殺しようとする企てに荷担しようとしたわけでもなかった。イーザリーは軍の命令に従って、職責を果たしたにすぎない。にもかかわらず、彼の行為が何十万という人々に重大な被害をもたらした。それを反省するよう、アンダースはイーザリーに問いかけていく。イーザリーは広島の被害が想像を超えていた、自分には極端な悪意は存在しなかったが、そのことが巨大な犯罪を構成してしまったということに次第に自覚を深めていった。その結果、イーザリーは当時のアメリカで狂気にふれたということで病院に入れられてしまった。

 このことは、アウシュビッツでも存在している。それを指摘したのが、ハンナ・アーレントという思想家だった。アーレントは1961年に行われたラドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した。彼女自身ユダヤ人としてナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命して、アメリカで活躍した。アイヒマンはアルゼンチンに逃れたナチスの一大戦争犯罪人として、殺人鬼として裁かれようとしていた。しかし、アーレントは裁判を傍聴して、アイヒマンは極端な悪意に動機づけられて途方もない罪を犯した犯罪者ではないと強調している。アイヒマンは法廷で、「ユダヤ人の殺戮が史上最大の犯罪になることはわかっていた。にもかかわらず、自分はナチスの官僚であって、上の命令に従って義務を忠実に果たした。職責を果たした点で、非難されることはない。したがって私は罪の意識を感じない」と述べている。ここからアーレントは、現代の大量殺戮事件は単にひとにぎりの人々の強烈な憎悪によって生じるのではなく、それを支える巨大なシステムが存在して、それに関わる無数のふつうの人々の参加ではじめて可能になると主張した。
 これは当時、きわめて孤立した議論だったが、次第にアーレントが主張した「悪の凡庸さ」が現代の犯罪の特徴として注目されるようになった。
 イーザリーの問題とアイヒマンの問題は、現在の大量殺戮の問題として、たいへん共通しているのだ。その後、ヨーロッパではアウシュビッツを絶対視する一方、ヒロシマ・ナガサキを過小評価することを偏見だと指摘した哲学者が出てきている。

 さて、ここで私はアジアに対する日本の問題を指摘せざるを得ない。
 95年にNHKの放送文化研究所が、日本、アメリカ、韓国で広島・長崎への原爆投下に関する意識調査を行った。その結果、「広島・長崎への原爆投下は正しかったか?」という質問に対し、「正しかった」と答えたのが、日本で8.2%、アメリカで62.3%、韓国では80.5%におよぶ。「間違っていた」と答えた人は、日本57.8%、アメリカ25.7%、韓国19.1%だった。韓国では、原爆投下が正しかったと思う人がアメリカよりもはるかに多く、間違っていたとする人もアメリカより少ないのだ。この結果を見る限り、韓国ではアメリカより原爆投下を肯定している人が多いと考えざるをえない。
 なぜこうなるのか? 
 戦後、日本人が形成してきた広島・長崎への被爆の記憶・物語が自国中心、自民族中心の傾向をもっていたのではないかということを、ここで問わなければならないと思う。
 韓国では原爆投下が日本の敗戦を決定的にした、それが祖国の解放につながったという認識が広く存在していることを否定することはできない。ただ、それがこのアンケート結果になったかどうかは、議論の余地がある。この数字の中には、韓国に対する日本の植民地支配や戦時動員の責任を戦後もずっと果たしてこなかったという日本に対する批判が、こういう数字に表れているとも考えられる。

 いずれにせよ、日本の植民地支配や戦禍をこうむったアジアの人たちからすれば、原爆投下は侵略政策を放棄しなかった結果もたらされたと見えるのだろう。このような認識を持つ人たちに、原爆の惨禍・被害の痛みを理解してもらうには、日本人の側がアジアにもたらした惨禍と痛みを理解する、そして、その責任を果たすように努力しなければならない。「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ」は、アジアへの加害責任をふまえなければ、説得力を持たない。
 90年代はじめに東西冷戦が終わり、韓国ではじめて日本軍の元慰安婦として名乗りをあげた金学順さんの登場に続き、続々被害者が戦後補償裁判を提起してきた。そこで、あらためて日本の戦争責任を問う動きが起きたが、その後、日本の行政・司法の壁に阻まれ、いままた忘れ去られようとしているような状況にある。
 アジアへの加害の問題を踏まえなければ、ヒロシマ・ナガサキが普遍性をもたない。原爆投下の犯罪性を共有できない。にもかかわらず、加害責任問題が後退している。この問題をクリアすることが、ヒロシマ・ナガサキへの共通の裁きを行う条件になるだろう。
 原爆投下の責任は、第一にアメリカ合衆国、その大統領にあったことはまちがいない。同時に、日本政府の責任も忘れることができない。敗戦が必至であったにもかかわらず国体護持を求めて、当時の指導層が降伏を先延ばしにしてきた。国体護持の犠牲となって、広島・長崎に原爆が投下された、その責任を明確にする必要があるだろう。さらにいえば、アメリカが原爆開発を知っていながら、それを止めなかった、暗黙の同意を与えていたイギリスのチャーチル、ソ連のスターリンの責任もあるだろう。

 いずれにせよ、中心にあるのは、米大統領と当時の日本の指導層の責任だ。こうした戦争責任の追及が必要だが、「戦争責任」という言葉を狭く捉えてはいけない。植民地支配の中での被爆者の問題も考えなくてはならない。とりわけ、朝鮮半島の被爆者の人たちのことを忘れてはならないだろう。韓国や朝鮮民主主義人民共和国の被爆者たちに対する日本政府の態度も改めて問われなければならない。

 こうした問題を公の場に乗せるようにすること、そうした被爆者たちの声に耳を傾けること、日本・韓国・朝鮮のなかで議論を重ねることが重要で、こうしたことを抜きにヒロシマ・ナガサキを裁くことはいつまでたってもできない。

 ヒロシマ・ナガサキの人々は恩讐を越えて訴えてきたのだ、いまさらそれを裁くことで対立をあおる必要はないという考え方もあるかもしれないが、ここで問題になるのは報復ではない。報復ではなくて、裁きなのだ。報復と裁きを区別することを、私は強調したい。アメリカは9.11に対する報復を明確に掲げ軍事行動にでたが、私たちが求めたのは、報復ではなく裁きだった。裁きというのは、裁判所に訴えを持ち込んで責任を裁いてもらうこともあるが、これは極めて難しいのも現実だ。他方、実際の裁判所に提訴できないので、民衆法廷という形で追及することもある。日本軍慰安婦問題については、民衆法廷の試みがあり、成功を収めたと思っているが、結果、慰安婦問題の解決がすすんだとは必ずしも言い切れない状況にある。私は、ヒロシマ・ナガサキについては、法廷の裁き以前に、さまざまな立場の人々に原爆投下についてどのような判断をもっているのか、率直に語ってもらって、厳しい対立を乗り越えていくことが重要だと思う。裁きとはJudgementだが、これは判断という意味もある。私たちは広島・長崎への原爆投下をどのように判断するのか、その責任をどう判断するのかについて、米の正当化論者や韓国、中国の人たちなどと判断をつきあわせ、少しでも普遍的な判断を形成する努力をすべきではないかと思う。
 「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」が、その出発点になればと願っている。 

 

国際法に照らせば原爆投下の違法性はおのずと明らかになる
クリストファー・ウィラマントリーさん(国際反核法律家協会会長) 

 来年の国際市民会議は最も重要な会議になる。被爆から60年経つのに核兵器の禁止について何もなされていないからだ。時間はなくなりつつある。核兵器に反対する運動を永遠に続けていくわけにはいかない。核兵器のない世界をつくる機会は徐々に小さくなってきている。時間の経過とともに核の危険は大きくなるばかりだ。まず、核戦争は起こらないだろうという考えをなくすことが第一歩だ。現在の国際情勢では、どんなことでも起こりうる。世界の大国によって国際法が無視されている。世界全体で3万発以上の核兵器が存在する。そのなかには、広島に投下された原爆の1千倍もの威力をもつものもある。
 90年までに核兵器が使われる危機が40回もあったという。核の撃ち合いにならなかったのは、単に運が良かったからにすぎない。例えば1961年1月24日には、ノースカロライナでB52が火災を起こして核兵器が落ちるという事故があったが、爆発にはいたらなかった。アメリカの原子力潜水艦がボストン湾で沈没する事故も63年4月にあった。66年1月17日にはB52がスペイン上空飛行中墜落することもあった。事故は常に発生している。偶発的に核兵器が発射されることもある。したがって、我々には時間がない。あらゆる手段を尽くして核兵器に反対していく努力がある。専門家や知識人、労働組合や女性たちなどあらゆる勢力を結集して、核の問題に理性を取り戻すようにすることが必要だ。
 被爆60年は絶好の機会だが、一方で60年も経ってしまったということを知る必要がある。自己満足で油断している状況があるのは、ヒロシマ・ナガサキの苦しみを世界が知らないからだ。被爆者の言語に絶する苦しみを世界の人々に知ってもらうための計画的な取り組みが要る。しかし、現在その努力にはまだほど遠く、時間も限られ、だれも核兵器の問題に興味を払わない状況だ。
 被爆者の苦しみに耳を傾けるというのが、国際市民会議の柱になっていると聞いた。同時に、原爆投下の犯罪性もテーマになっているということで、関心を抱いている。
 国際司法裁判所で核兵器の合法性が問われ、私が関わる機会が3回あった。一つは国連総会から意見を諮問された時だ。このとき、私は「核兵器はいかなる状況でも違法だ」と強調した。多数派の意見は、核兵器は一般的には違法だとしたものの、国の存亡に関わる極端な自衛の場合には、はっきりとした違法性を表明しなかった。ただし、このときは「すべての国家が核保有をなくす、そして徐々に削減し、廃絶していく義務をすべての国が負っている」ということを、判事15人が全会一致で判断した。このことを強調したい。国際法に関しては最も権威がある判事全員が一致したわけだから、たいへん権威のある意見表明だったといえる。したがって、どの国であれ、この方向を遵守しない場合は、国際法上の義務を履行していないことになる。核兵器保有国が意味のある形で核兵器の削減をしていないなら、それは国際法に違反しているということを考えてほしい。来年5月にNPT再検討会議が開かれるが、この点を追及していく絶好の機会だと思う。
 NPTは核保有国と非核保有国の間の取引の結果として生まれたものだ。核保有国は、非核保有国の核保有は許さないが、そのかわり自らの核兵器はなくしていくという取引をしたわけだ。しかし、核保有国は他国に対し核保有しないことを期待しながら、自らは核兵器をなくす努力をしていない。国際司法裁判所において全会一致で核兵器は廃絶されるべきだという意見を再度強調したい。毎年国連ではモデル核兵器廃絶法案が決議案として提起されている。これは、国際司法裁判所の判断に注意を促すとともに、核兵器廃絶の義務を促すためでもある。原爆投下・核兵器の犯罪性を議論するときには、こうした要因をすべて考慮してほしい。
 次に核兵器違法性の審議に関わったのは、世界保健機関(WHO)から核兵器の医学的な影響に対する意見を諮問されたときだ。WHOは核兵器がもたらす苦しみについて注目していたので、被爆者の抱える問題が特に注目された。このときも、私は少数意見を述べた。核兵器によって引き起こされる言語に尽くしがたい苦しみがあるゆえに、核兵器は違法であると書いたのだ。
 三番目に関わったのは、核実験に関するものだった。ニュージーランドとフランスの間で争われたもので、核兵器の使用だけでなく実験でも恐ろしい結果が生まれるという意見を私は表明した。核兵器および原爆の法的な側面を議論するには、あらゆるアプローチを検討してほしい。
 いわゆる「違法性」を議論する場合は、必ずしも「犯罪性」を議論する必要性はない。
 昨日私は、「国際法の中で核兵器を違法だと定めているのはどこか?」という質問を受けた。国際法の全般的な性格に対し理解が不足しているので、こうした質問が出るのだと思う。国際法全般に対する理解を高めるため、啓蒙・啓発が必要だ。それにより、核兵器が国際法で糾弾・非難されていることが理解できる。「核兵器投下が違法だと、はっきり定めた条約がない」と主張する人はたくさんいる。確かに、そういった条約はない。しかし、こうした行為を違法と判断するにじゅうぶんな国際法の原則は数多く存在する。
 国際司法裁判所の規定をみてみると、国際法の源について述べている。ひとつは条約法で、もちろんこれはたいへん重要なものだ。しかし、他にももっと大切なものがある。それは一般慣習法といわれるものだ。この慣習国際法は、世界のあらゆる伝統や道徳、価値観、文化的背景などをもとにつくられている。世界でどのような伝統、宗教をみても戦争で無差別殺戮は禁止される。こういった国際慣習法については、数多くあげることができる。どれをとっても原爆投下は違法であると判断するにじゅうぶんだ。
 ここで被爆者の苦しみが重要な要素として入ってくる。これは、核兵器、原爆投下による残酷な悲痛が繰り広げられるからであり、残酷な苦痛を引き起こす兵器は、現在知られているどの法体系をとっても違法だからだ。どのような法体系をとっても、市民の無差別殺戮は禁止されている。核兵器・原爆はまさにこうしたことを引き起こす。広島で無辜の老若男女が14万人も亡くなったわけだ。これはジェノサイドに匹敵するものだから、「人道に対する罪」になる。人口のグループの中で相当数の人々が殺されるのがジェノサイドであり、これは禁止されている犯罪だ。
 同時に、将来世代への影響もある。もし例えば、洞窟の時代に無責任な行動をとる人間がいたとすれば、その人を私たちは「野蛮人」と呼ぶだろう。しかし実際には、原始時代に無責任な行動を取った人間はいなかった。ところが我々は、将来の世代に対し無責任な行動を取っているわけで、将来世代は我々を「野蛮人」と呼ぶだろう。これは、ある法律家が核兵器の違法性を諮問された議論の中で指摘したことだ。
 核兵器によって水、空気、土壌が汚染される。半減期は2万年というが、影響は20万年も続くことがある。今後、何年も先に生まれる世代にこのような被害を押しつける権利がだれにあるといえるか。また、今後核戦争が起きた場合、広島と長崎に落ちた2発で終わることはまずない。核の撃ち合いになる。そうなった場合、空気中に死の灰が漂い、日光を遮り、世界中で凶作と飢饉が起きるだろうと科学者が予想している。
 違法性・犯罪性という時にさらに注目しなければならないのは、あらゆる文化遺産が完全に破壊されてしまうことだ。イラク戦争でもこれは明らかで、核戦争だったらイラクの比ではないだろう。二国間で核戦争が起きれば、他の国にも影響が及ぶ。近隣諸国にまで被害を与える権利は、どこの国にもない。
 条約がないと核兵器は禁止できないという間違った考えがあると思う。だから、それを正すためにも、来年にむけて一連の教育啓蒙プログラムを作り上げる必要がある。核兵器が違法であるというさまざまな原則がすでにあることを知らせることが重要だ。学校の子どもたちでさえ、これは十分に理解できる。だから、学校でも教えるべきだ。
 国際反核法律家協会は、来年始めに南アジアをはじめアジア全体を対象として、核兵器の違法性をテーマに会議を開くことを予定している。これは、アジアの人々に核の危機に目を覚ましてもらうため、被爆者の苦しみをみんなに知ってもらうことを目的とする。
 被爆60年にむけて、こうした画期的な取り組みをつくり上げたい。 

 

※この「概要」は記録保存のために作成したもので、文責はすべて「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議」実行委員会事務局にあります。

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